月別アーカイブ: 2014年6月

考えているフリ

DSC_0854

ヘボコン(工作下手な人がロボット相撲をやる会)に出すためにロボットを作っている。

工作に対して何の知識もないから、本当にゼロから考えている。で、考えたことを実行すると全然うまくいかない。あんなにいろいろ考えたことはいったいなんだろうと思う。そういうことが何度かあって気付いた。あれは考えていなかった。考えたような気がしていただけだった。

工作だと自分が間違っているのかどうなのかがちゃんとわかるのがいい。
でも、毎日ぼくらは日常の検証できないようなことに関しても細かく考えていて(主に他人がどう考えているかどうかについてだと思うけれど)、あれも考えているというよりは考えた気になっているだけっぽい。

たとえば、そのへんに落ちている石を拾って、それを数時間深刻な顔で眺めて、ポイって捨てて、また新しい石を拾ってくる……みたいな。

まさかそこまで無為なことじゃないだろうって思うけれども、かなり近いはずだ。ロボットは全然出来上がりそうにないし。

メフィスト賞座談会

DSC_0708

ぼくが中学生とか高校生だった頃は、新本格や、その後のメタミステリが全盛を極めていた時代だ。本屋に行くと真っ先に向かうのは講談社ノベルスのコーナー。そしてぼくは当時雑誌「メフィスト」を買っていた。

「メフィスト」の中で一番最初に読んだのは、巻末のメフィスト賞選考座談会である。これはメフィスト賞に応募してきた作品を編集部同士で「アリか・ナシか」を話し合うもの。「アリ」になればその場で受賞と出版が決まるのだ。

その中でもすごくよく覚えているやりとりがある。以下、記憶で書くけれどもこんな感じ。

「この人また送ってきたよ」
「だけれどもナシだな。見送り」
「探偵の名前が『大爆笑カレー?』」
「ほかにも『ルンババ12』とか『冥王星O』とか。そんなのばっかり」
「なにそれ、名前なの?」
「あんまり奇をてらいすぎるのも問題だよね。じゃ、次の作品行きましょう」

何の予備知識もなしでこのやり取り見たら「この人の小説家デビューは遠そうだなあ…」って思うよね。ぼくもそう思っていた。何回か作品を送っているみたいだったけれどもそのたびに「また大爆笑カレーの人か」ってコメントがついていたと思う。

でもこの人は、その後も粘り強く投稿してメフィスト賞を勝ち取った。実際に「大爆笑カレー」って探偵が出てくる作品ものちに出版されて、ヒットしている。

わかりますよね。作家の名前は舞城王太郎。

講談社の人たちが、投稿時代の舞城作品を酷評しているのをもう一度ちゃんと読みたい。文章の評価なんて簡単にうつろうといういい見本になる。

でもメフィストはなんかのときに全部処分してしまった。

感情が入っていない文章は読みにくい

IMGP0742
「文章を書くときには感情をこめて書きましょう」とかそういう話ではなくて、もっとそれ以前の話として。

たとえば統計データ、学術論文、数式なんかは著者の感情を排して書かれている。こういうのは読みこむの大変。

逆に感情がこもっているのは小説とか、ブログとか。世の中の文章の中でも読みやすいものだろう。Togetterで、だれかとだれかがけんかしているやつなんかは、感情以外に何もなくて、読んでも何もいいことないんだけれども、それでも読んじゃう。

企業の有価証券報告書なんかは微妙だ。感情を排して書かれるような形式になっているんだろうけれども、水面下で感情がギラギラしているのがちょいちょいある。ああいう書類を読むのって基本的には退屈だけれども、いい感じのギラギラが出てきたときの迫力は逆にすごい。

新聞記事は事実を淡々とかいているっぽいけれども、かなり感情のパーセンテージ高い。

感情がこもっているときのメールのリーダビリティもすごい。クレームや叱責のメールって、見た瞬間、スキャンするように文章全部一瞬で読めてしまう。目も覚めるし、読んでいる途中の時間の感覚もちょっとおかしくなる。感情が受信者である自分に向けられていると、こういうこともおこる。

なんだろう。本能的に、人間は他の人間の感情に対して敏感なのかな。